実験体紹介
健康状態問題なし。本人も特に容姿・家庭環境等に不満はないが、23歳にして人生を面倒だと思い始める。唯一の趣味は読書だったが、最近は読書への関心も…。最後に残るのは性への興味だけとなり、その結果今回の実験に至る。野外実験についてはこちらから。
眼ノイロ
私には眼球に色素を流し込んで眼の色を変えたいという願望があった。
自分の眼が紫になるのは素敵な事だし、物事が全て紫に見えるというのさらに素敵な事だと思う。
と思っていた所にオランダから「眼球ピアス」の情報が。
文字通り眼球にピアスを開けるという事らしく、特に障害もない模様。
眼球にうさぎ型のピアスをつけれると思うと軽い興奮さえ覚える。

こんな時代なのでいつか紫の眼球も実現できると、とても期待させられる話でした。
※次回は、アンケートで1番リクエストの多かった「精神的実験」を
公開させていただこうかと思っています。
自分の眼が紫になるのは素敵な事だし、物事が全て紫に見えるというのさらに素敵な事だと思う。
と思っていた所にオランダから「眼球ピアス」の情報が。
文字通り眼球にピアスを開けるという事らしく、特に障害もない模様。
眼球にうさぎ型のピアスをつけれると思うと軽い興奮さえ覚える。

こんな時代なのでいつか紫の眼球も実現できると、とても期待させられる話でした。
※次回は、アンケートで1番リクエストの多かった「精神的実験」を
公開させていただこうかと思っています。
人間の関心について
この所、実験内容が思いつかずとても困っています。
そこでブログ内にもリクエスト欄を設けたのですが、みなさんの
関心についてお聞かせいただければと思います。
そこでブログ内にもリクエスト欄を設けたのですが、みなさんの
関心についてお聞かせいただければと思います。
視力と聴力
みなさんは音楽を聴く時、何を楽しんでらっしゃるでしょうか?
スピーカーから流れる音に癒されるのでしょうか。このような質問に明確な答えというのはないと思いますが、私は耳から入る音はのはただのきっかけであり、「音楽」とはまた別な所にあると思っています。
例えば、バッハの自伝を読み、当時の彼の気持ちを想像すれば聴いた事がなくともバッハの音楽を楽しむ事ができるように思います。
例えば、オーケストラの去った舞台で1時間も立っていれば、バイオリンの音色を楽しめるようにも思います。
馬鹿らしい意見と思われるかもしれませんが、全てが想像だと思っている私はそう思います。
オノヨーコの「グレープフルーツ」も絵を使わない言葉の絵画であり、音のない音楽があってもいいかと考えます。
スピーカーから流れる音に癒されるのでしょうか。このような質問に明確な答えというのはないと思いますが、私は耳から入る音はのはただのきっかけであり、「音楽」とはまた別な所にあると思っています。
例えば、バッハの自伝を読み、当時の彼の気持ちを想像すれば聴いた事がなくともバッハの音楽を楽しむ事ができるように思います。
例えば、オーケストラの去った舞台で1時間も立っていれば、バイオリンの音色を楽しめるようにも思います。
馬鹿らしい意見と思われるかもしれませんが、全てが想像だと思っている私はそう思います。
オノヨーコの「グレープフルーツ」も絵を使わない言葉の絵画であり、音のない音楽があってもいいかと考えます。
「膣分泌量の限界」
久しぶりの実験となりました。
今回は野外実験でリクエストの多かった「膣分泌の限界」についての実験結果を軽く発表させていただくつもりである。
女性はともかく男性も愛液の限界量というのは多少興味があると思う。
少量と言えど、一定量異常の分泌を超えるとどうなるのかという実験。
今回は野外実験でリクエストの多かった「膣分泌の限界」についての実験結果を軽く発表させていただくつもりである。
女性はともかく男性も愛液の限界量というのは多少興味があると思う。
少量と言えど、一定量異常の分泌を超えるとどうなるのかという実験。
「膣分泌量の限界」についての実験結果
結果報告。
実験内容は至極単純。自慰行為を分泌液が出なくなるまで続けその量を計るというもの。
まず夜8時に開始して5分、いつも通りの量が出始める。
その後40分まで特に変わる事なく出続けるが、9時前にしてさすがに量が減り始める。もちろん私自信の精神的な疲労、モチベーションの低下が関係していると思うので肉体的限界なのかは判断しずらい。
その後30分ほど続けるが精神的にかなり不安となり自慰行為自体に強烈な抵抗を感じる。
さらにほぼ無意識の状態で20分ほど続けるがこの時点で感覚がほぼ
なくなり分泌も完全に止まる。
約2時間の行為で、正確ではないが約50ccという結果。
肉体的な限界よりも精神的な限界のほうが先にくるとのは
ほぼ間違いないと思われる。
トレーニングにしろ、マッサージにしろ人間は自分を痛めつけるその過程に快楽はあるのだと思う。その境界線は個人差もあると思われるし、私はさらにその苦痛の先にも何かあるのでは期待している。

※ここでは画像の制限がある為、写真は少し修整を加えさせていただきました。
実験内容は至極単純。自慰行為を分泌液が出なくなるまで続けその量を計るというもの。
まず夜8時に開始して5分、いつも通りの量が出始める。
その後40分まで特に変わる事なく出続けるが、9時前にしてさすがに量が減り始める。もちろん私自信の精神的な疲労、モチベーションの低下が関係していると思うので肉体的限界なのかは判断しずらい。
その後30分ほど続けるが精神的にかなり不安となり自慰行為自体に強烈な抵抗を感じる。
さらにほぼ無意識の状態で20分ほど続けるがこの時点で感覚がほぼ
なくなり分泌も完全に止まる。
約2時間の行為で、正確ではないが約50ccという結果。
肉体的な限界よりも精神的な限界のほうが先にくるとのは
ほぼ間違いないと思われる。
トレーニングにしろ、マッサージにしろ人間は自分を痛めつけるその過程に快楽はあるのだと思う。その境界線は個人差もあると思われるし、私はさらにその苦痛の先にも何かあるのでは期待している。

※ここでは画像の制限がある為、写真は少し修整を加えさせていただきました。
性のイデア
みなさんはイデア論をご存知でしょうか。
私は上手く説明できるほど賢くはないので、初めて聞く方は1度調べていただければと思います。
そこで私の考える事はやはり性についてであり、もちろん性にもイデアは存在するし、快楽にも存在するはずである(イデア論前提で)
そうなると性や快楽というのはとても曖昧なものであるので、このイデアについて考えるのはとても興味深い。
林檎のイデアと人が想像する林檎にほぼ違いはないと思うが快楽についてはどうだろうか?
快楽のイデアとはどのようなものであろうか?
元々快楽というのは人それぞれの定義で測り、感じれば問題のないもの
だと思うのだが、私には世間一般でいう「快楽」がイデアとはほど遠いのではないかとも思う。
これは私も想像すらできないので是非意見を聞かせていただきたいです。
私は上手く説明できるほど賢くはないので、初めて聞く方は1度調べていただければと思います。
そこで私の考える事はやはり性についてであり、もちろん性にもイデアは存在するし、快楽にも存在するはずである(イデア論前提で)
そうなると性や快楽というのはとても曖昧なものであるので、このイデアについて考えるのはとても興味深い。
林檎のイデアと人が想像する林檎にほぼ違いはないと思うが快楽についてはどうだろうか?
快楽のイデアとはどのようなものであろうか?
元々快楽というのは人それぞれの定義で測り、感じれば問題のないもの
だと思うのだが、私には世間一般でいう「快楽」がイデアとはほど遠いのではないかとも思う。
これは私も想像すらできないので是非意見を聞かせていただきたいです。